思えば遠くへ来たもんだ

怪しい認知科学を紹介しながら、行き着くところへ目指すのを綴る場所

初記事を自分でレビューする

一日で二回記事を書きました。

前記事は下。

 

visualawareness.hatenablog.com

 

 

 

最近、何か真面目なことしか語ってねえなあ、とか思ったので、巫山戯ようよということで、何かないかなと思って過去記事を探っていたのです。

 

すると、僕が今公開している最初の記事を見つけたので

「これ、今の俺がレビューしたらいいんじゃない?(適当)」

ということでレビューします(唐突)。

 

レビューする記事は以下。別に辿らなくていいです。

 

 

visualawareness.hatenablog.com

 

 

 

レビューです

まず題名。

「生きることに疲れた人へ贈る言葉なんてね、無いんだよ」

 

のっけから、鬱まっしぐらですね。お前が一番生きることに疲れてんじゃね、って自分のことなのに心配してしまいます。

初記事のタイトルとしては、最悪じゃないすかね?

 

以下引用。

>>生きることに疲れた人へ贈る言葉

>>よくそんな人に対して「自殺はやめろ」とか「生きていれば良いことがある」とか

>>言う人がいる。

>>そして、世間的にはそのような言葉をかけるのが良いという風潮がある。

>>しかし、実際に疲れている人を前に、そんなことが言えるのだろうか。

 

いきなり喧嘩腰ですね。

最初の頃、こんなにも突き放すような書き方をしてたのかと驚きます。

あれっすかね、若気の至りでクール気取る的な。

うーん。しかも内容も誰に向けているのか不明だし。

読み進めば分かるのでしょうか?

 

>>疲れてどうしようもないその人だって、そんなことは承知の上である。

 >>しかし、その理解を超えたところで、今闘っているからこそ疲れて死を選ぼうと

>>しているのだろう。

 >>下手すれば、その風潮によって更に自分を苦しめているのかも。

 >>そんな方々を前に、自分がかける言葉なんて何もない。

 >>そんな薄っぺらい言葉なんて、本人の頭のなかで幾らでも占領しているのだ。

 

このときの自分、本当に暗いなあ。

何かこのときの僕の立場って記事内では「第三者の意見」として書いているけど、本当は「自殺を考えている自分はこう思っている」という心情を書いている気がする。

「俺はそういう意見があるのは、昔から知っているけど、だけど死にたいんだ。

だから、もうそういう言葉を投げかけないでくれ」

みたいな気持ちを持って書いているのかもしれません。

でも、今思い返しても「いや、特に死にたいことあったっけ?」という感じなので、謎です。怖い。

 

>>鬱病の人に頑張れなんて言うんじゃねーよ、というのがある。

 >>鬱病の人も「こんなじゃ駄目だ頑張らなきゃ」と何度も何度も思っているからこそ

 >>言われると更に思いつめるのだろう。

 >>生きることに疲れた人にとって必要なのは、言葉という縛りから離れる必要がある

>>のかなと思う。

 

どうでもいいけど、この時からちゃんと調べるってことをしてないですね。僕。

本当に鬱病の人に「頑張れ」って言ってはいけないのか、調べて書いているんでしょうか?

多分、伝聞なんだろうなあ。

この内容、ずっと僕の考えをだらだら述べているだけっすね。

だから、ずっと、~だろう。とか~と思う。とか、終始ハリのない記事なんでしょう。

今もそうです。

 

>>つまり、無音、無心の世界。

>>でもそんな世界なんて、この世にはない。

>>結局、疲れた人にとって必要なのは、その疲れを癒やす時間なのかもしれない。

>>その人に対して、行えること。それは、疲れた人を見守るぐらいなのかもしれない。

 

何か詩的ぶっちゃってさ、いけ好かねえ。誰だよこれ書いたの。

これ、もっと簡潔に「何も言わないで、見守るだけでいいんじゃない?」で終わるだろ。

 

 

>>人生経験が滅茶苦茶少ない自分にとって、これに対する明確な結論は未だに至って

>>いない。

>>ただ、私も少し疲れた時、やはり休みが欲しいと素直に思う。

>>それは休みという時間が欲しいという願い。

>>疲れに疲れた人は、その分長い長い「何もしない時間」を作るべきなのだろう。

>>しかし、それを作ろうとすると周りの支えが必要になる。

>>その事実にまた心を痛めるのだろう。

>>それでもいいんだよ、と言っても気にするのだろう。

>>やはり、生きる人に疲れた人に贈る言葉なんて、無いんだよと思うのが

>>今の自分の無力さを思い知るのだ。

 

最初の一行でまず、保険をかけています。

二行目からは僕の考えですね。どうでもいいけど、こいつ、自分の考えをさも他の奴らもそうだ、みたいな考えで書いているな。

俺の一番嫌いなやつじゃねえーか。

休みがほしいのはお前だけかもしれねえだろ。

やっぱり、ちゃんと校正して書かない記事は駄目ですね。

(今もしているかと言われると微妙なところ、決してしてないとかじゃなくてですね、あのやっぱり忙しくてですね、いや言い訳するとかじゃなくて、そういうこともありまして、気持ちとしては校正したいとおもってますし、実際時間があるときはしているので許していただけないでしょうか。)

 

で、最後の二行は、急に立場が変わります。僕が見守る側になります。

なぜ、立場が急に変わるのか・・・。

恐らく、「僕のことなんだけど、僕のことだってばれたくない」てきな心理が働いたのでしょうか。

推測ですけど。

 

>>嗚呼、疲れた。

 やっぱりお前のことじゃねーか!

というか、多分、これネタ記事ですよね。

最後に、わざとこういうことを言うなんて最悪なブロガーだな。内容の重さに反して、適当なことしか書いてねえ。

まあ、フォローしておくと恐らく「暗くなりすぎたな・・・、俺のことにしよう」って悪知恵が働いたんだと思います。

ずるい。

 

 

レビュー後、反省会

もう二度としたくないです。

ただ、記事の内容自体は自分の考えなんで「まあそういう考えもありかな」って読めました(もちろん、違う考えも今ではできるんですけど)。

でもやっぱり、初期の頃の記事特有の痛々しさ。

いや、今も十分痛いんですけど。

 

これを全世界に公開しているのかと思うと悲しくなってきました・・・。

それでも書いていかなければならない。

まあ、前の記事にも書いたんですけど、基本的に文章を人に見せるってことは

「恥ずかしいこと」

ですから。

 

visualawareness.hatenablog.com

 痛々しさは、一生抜けないのかもしれません。

それでも書くことの意味。

このレビューを通して、もう一度考えてみるのも有りかもしれません。

 

ちなみに、自分の記事をレビューすること自体はナシです。

いや、本当にやめたほうがいい。

俺じゃないみたい。

黒歴史は、他人に掘られた方が、まだダメージ少ないかもしれない。

 

教科書には載せられない黒歴史

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