思えば遠くへ来たもんだ

怪しい認知科学を紹介しながら、行き着くところへ目指すのを綴る場所

そういえば、活字

活字離れが問題になっていたのって、多分10年前ぐらいだったと思う。

あの頃は、ネット、ゲームの成長が著しい時代だった。

本を読むことが少なくなり、日本人の若者の識字率が低くなる

やばいねえ、なんてマスコミ中心にギャーギャー騒いでいた。

 

ところが、最近その話題が全く挙がらないことに気づいた。

活字離れという話題自体が、それこそ1週間ぐらい前まで

記憶の片隅に追いやられており、すっかり抜け落ちていたのであった。

何をキッカケで思い出したのかは、分からない。

唐突に、頭の中で活字離れが問題とマスコミが取り上げていたなあなんて

ふと思い出し、そういえば最近だれもその事について、言及してないよね?

と気づいたのである。

 

活字離れの原因であるネットやゲームの普及は、スマートフォンの登場により

加速した。

今じゃあ、誰もがスマホを持ち、SNSやソシャゲをいつでもどこでもやる始末である。

だから、今のほうが活字離れが進んでいるような気がするのだが

誰も口にしない。すっかり忘れてしまったようである。

 

 

あの頃は、まだまだネット新聞や電子書籍が普及してなかった

今みたいに、スマホでニュースや書籍を見ることは、10年前では当たり前

じゃなかった。

スマホのように汎用性の高い端末なんてなかったし、あったとしても

まだまだ配信用のコンテンツ自体が発達していなかった。

そのため、紙媒体は現役で、新聞や本は紙で読むものというのが

当たり前の時代だった。

そこに、ネットやゲームが普及し、本や新聞を見る必要がなくなる。

すると、出版社や印刷業の人間は当然のごとく困るわけである。

だから、マスコミが必要以上に騒ぎ立てたのであろう。

 

しかし、実際のところあの頃の若者は本当に、活字から離れていたのか?

少なくとも、10年前といえばブログやmixiなどがはびこっていた時代だった。

誰もがプロフィールを作って、その日のことをつらつらと書く。

そして、他の人のを読む、交流する。

そうしていると、必然的に文字に触れる機会は多くなる。

個人用HPも割と作られていたし、その中身はほとんどが文字列の集まりだろう。

そうなると、実は書いたり読んだりして交流している若者は、本だけを

読んでいる人間なんかに比べると、よっぽど考えて文字に触れ合おうとしていると

考えられる。

もちろん、中身のレベルの差はあって当然なのかもしれない。

商業作品である小説や新聞は、やはり厳格な文章を求められる。

それに比べると、ネットニュースや個人のブログで書かれている文章なんて

殆どは糞みたいなものだろう。

事実、今でもネット記事なんか見ると、しょうもない内容だったりつまらない

文章のミスが散見されたりする。

ネットは発信しやすい分、そこに甘えたようなレベルの低い文章が多くなるのだろう。

だから、こんな糞ブログみたいな文章は許されるべきではないのだ。本当に。まじで。

 

「じゃあゲームはどうなんだよ」

10年前というと、RPG過渡期だろうか?

それからアドベンチャーゲームもそこそこあったような気がする。

いや、もう覚えてなさすぎる。

なにせ、あの頃はSTGに嵌っていたので、言われてみると僕自身は

あの時代にゲームで文字に触れた覚えがない。

困ったなあ・・・。

しかし、でもゲームも昔から文字の多いゲームは多いし

文章で読ませようとするゲームもあった。

必ずしもゲームをしていると、活字から離れるということは無かった気がする。

説得力がなさすぎて、申し訳ないのだが・・・。

 

 

でも別に本や新聞も読むよねえ?

だからといって、本や新聞といった紙媒体を通して文字に触れ合わなかったか?

と言われると、僕自身はそんなことはなかった。

昔から、本を読むこと自体は好きだったし、10年前も推理小説を主に読んでいた

気がする。

僕の周りにも、本を読んでいる人たちはそこそこいたし

決して若者が全くもって本を読まないということはなかったと思う。

家で、新聞を取っている家庭なんかは、新聞に触れる若者も普通にいただろう。

ようは、遊びの多様化が広がっていって、それに本や新聞がついていけなく

なりそうだった。

だから、一時期 活字離れだ!と騒いでいたのだろう。

紙媒体に触れる機会自体は減っても、全体的に文字と触れ合うのに

違いは無かったじゃないか。今思えば、マスコミに踊らされていたのかもしれない。

 

そして、現在。

スマホを使って、本や新聞を読むことは当たり前になった。

各社も対応して、アプリを使って電子端末向けに配信しだすようになった。

ブログやmixiなどは、FacebooktwitterなどのSNSの普及で

更に簡単に文字の書き読みが出来るようになった。

こうして、誰もが幸せになり、活字離れという元々無かった問題は

消え去ることになりましたとさ。めでたしめでたし。

 

 となれば、良かったのだが、今度は語彙の低さを指摘するようになった。

どうやら、ネットスラング等、合言葉のように頭を使わずに交流できるルールが

暗黙に作られ浸透することによって、皆流されるように決まった言葉を

使いだした。

そのため、言葉の選択の幅の狭さが日常生活においても露呈するようになった

という訳である。

うーん。確かに、昔の小説とか読むと、何だこの言葉なんて思ってしまうことが

多い。

使わなくなった言葉や淘汰してしまった言葉なんて、幾らでもあるだろう。

しかし、むしろそれは合理的になったとも考えられるわけで、必ずしも否定的な

部分しか無いわけでもないと思うのだが・・・。

どちらにしても、若者は常に非難され続けるのでしょう。

かなしみ。