思えば遠くへ来たもんだ

怪しい認知科学を紹介しながら、行き着くところへ目指すのを綴る場所

普通を舐めている人たちへ

"普通"。

平均的な物事を表す言葉である。

普通に暮らし、普通に仕事し、普通に恋愛し、普通に結婚し

普通に家族を持って、普通に子供を産み育てて、普通に死んでいく・・・。

 

僕は別に、この生き方を否定する訳ではない。

もう少し、チャレンジしてみようぜ!

なんて言うつもりはない。

何故ならば、普通もまた「チャレンジ」する所、所謂人生の分かれ道が

あって、それを選択しているからだ。

客観的に見れば、それは大したことのない「普通」の出来事なのかもしれない。

けど、本人からすれば自分の生き方を決める「異常」な出来事なのだ。

それを、逃げずに選んだことは称賛されるべきだと、僕は思います。

 

それを維持することの難しさ

しかし、それは自他共に卑下する傾向があると僕は思います。

特に最近は、企業ブームやいわゆるノマドワーカーとか

好きなことをやって食べていくなど、普通をまるで、それでは駄目だよと

風潮を作り出す世間になっている気がする。

また、常識を変えていこうと言う「すごい人達」の取り上げられる数も

増えてきた。

インターネットという情報網の発展から、今まで見過ごしてきたような小さな

話題も、大きく取り上げられ、数多くの人に触れられるようになり

何だか、僕もこのままでいいのかなと思ってしまう。

自分の能力の無さや、しようもないことで悩んで、いつになっても

しょうもない脇役のような人生を歩んでいる自分。

気づけば、もうこの歳か。

周りからも特に称賛されることなく、黙々と目の前のことをやる気もなく

坦々とこなしていく。

今日も、最低限暮らせるだけの生活費を稼いでいく。そんな普通の人生。

そうやって、成功者と自分を比較する人たちはかなりいると思います。

少なくとも自分はそうでした。

 

だけど、だからといって皆が皆、異常になる必要はないと思います。

一人が企業すれば周りも企業するのでしょうか?

聞くまでもなく、殆どの人はしないと答えるでしょう。

何故なのでしょうか?

色々理由はあると思いますが、一番の理由は「わざわざそんなリスクを負う必要が

ないから」なのではないでしょうか。

企業したいと本当に思う人達は、多分そんなリスクを知っていても

その先にある何か必要なものを求めたいから企業するのだと思います。

しかし、殆どの人は企業しても求めたいものなんてない。

負担が増えるだけで、何一ついい事なんて無いのです。

そんなことよりも、普通と言われても、自分に取って一番大事な物

それは趣味を続けていくことなのかもし、家族を養うこと

なのかもしれないし、自分の存在価値を高めることなのかもしれない。

その一番大事な物を、自分の中でちゃんと理解しているならば

人からどれだけ馬鹿にされようが、恐らくその人は幸せなんだろうと思う。

 

だから、自分の事を「普通」だと思う人は、それでいいと思います。

普通は確かに、一番数の多いところではあるけど、だからといって

それは悪いことではない。

何を軸にするかは、それはその人次第だけどその軸での平均というのは悪いことではない。

むしろ、それは誇るべきなのだ。

だから、もし普通だと思っているならばそのまま「普通に死ぬまで」生きていくべきだ。

幸せとは何か、常に考えて、大事な物は何かを問い続けて納得できれば

「普通」でも良いのです。むしろ「普通」の方が良い。

得てして、成功者は「普通」のところに幸せがないと知っているから

リスクを負うのです。

 

最後に「普通」を舐めている人達へ

その普通を維持するのが難しいかが分からない。

成功者の威を借りて、普通の人を馬鹿にする。

時には、成功者の人をも馬鹿にする人達もいるぐらいである。

だが、それはきっと気づいていないだけなのだ。

その「普通」すら、その人が見せない様々な出来事によって、保たれてきた

尊い軌跡の証なのだということを。

だから、普通を馬鹿にする人へ言う。

馬鹿にするなら、直ぐ様同じように生きてみろ。絶対に真似は出来ない。

舐めるな。

気づいたら、舐められているのはお前だ。

それが嫌ならば、気づいてさっさと闘え。

以上。調子にのってごめんなさい。

一番舐めている「最底辺」の私からでした。