思えば遠くへ来たもんだ

怪しい認知科学を紹介しながら、行き着くところへ目指すのを綴る場所

自由の不自由

自由ということを考えている時点で、不自由である。

 

本当の自由は、とっくの昔に消えているのだ。

 

本当の自由とは、人間が他の動物と一緒に、野生人として生きていた時にしか

存在しないのだ。

 

その頃は、集団を意識することなく、ひたすら本能のまま寝食をしていれば

良かった。

 

明日の食料あるかなとか、今日眠れるかなとか、寂しいとか楽しいとか。

 

そんなことは一切考えず、ただひたすら自由に生きれば良かった。

 

他の野生人と関わる必要もないし、コミュニケーションを取る必要も

そもそも言語を開発する必要もない。

 

まさに自由。ただ、今日を生きるために本能のまま活動する。

 

そこの貧富の差もなければ、嫉妬や羨望のような感情もない。

 

それがいつの間にか、こんなにもステータスに溢れ、それに一喜一憂する世界。

 

私たちはいつの間にか、不自由な人間となり、不自由な世界をさも当たり前のように

作り生活しているのだ。

 

最早これを止めることが出来ないので、人類が滅亡するまでこの不平等に

踊らされ続ける。

 

というわけで、一人ひとりが感じている苦しみというのは、自分自身で生み出している

わけではなく、世界が悪いのだ。

 

「不平等だ!」と感じているのは、人間の進化によって齎した悲劇なのだ。

 

貴方は悪くないのです。

 

というようなことを延々と書いているのが「人間不平等起源論」と私は解釈した

のですけど、どうなんですかね?

 

 

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)

人間不平等起源論 (光文社古典新訳文庫)

 

 

私の解釈はともかくとして昔の人の創造力というのは豊かなものだなあ、と

関心してしまいます。

 

人間の社会の進化過程を、あれやこれやと詳しく考察しながら、この不平等が如何に

不自然なのかというのを述べていくスタイル。

 

自分の考えの視点が一つ増えたような気がします。

 

まあ、往々にしてこのような哲学書を読むと基本的に理解してなくて

なんとなく「ああ、賢くなったなあ」と思っているだけじゃね?と後で振り返るのだ

けれども。

 

読書も基本的には娯楽なので、それでいいのかもしれないなあと思いつつ

読んで、知識を貯めるだけの自分に絶望してしまいます。

 

理想はこの知識を活かして世界を、変えることをすればいいのですけれど

そんな力も、そもそも気持ちも抱かないあたり自分の平凡さを思い知らされます。

そんなことは天才に任せておけばいいのです。私は不自由な世界に順応していきます。

 

というわけで今日も疲れたので、寝ます。不平等の中にも、睡眠だけは

全ての人間に与えられた平等の幸福だ (適当)。