思えば遠くへ来たもんだ

怪しい認知科学を紹介しながら、行き着くところへ目指すのを綴る場所

生きることに疲れた人へ贈る言葉なんてね、無いんだよ。

生きることに疲れた人へ贈る言葉

 

よくそんな人に対して「自殺はやめろ」とか「生きていれば良いことがある」とか

 

言う人がいる。

 

そして、世間的にはそのような言葉をかけるのが良いという風潮がある。

 

しかし、実際に疲れている人を前に、そんなことが言えるのだろうか。

 

疲れてどうしようもないその人だって、そんなことは承知の上である。

 

しかし、その理解を超えたところで、今闘っているからこそ疲れて死を選ぼうと

しているのだろう。

 

下手すれば、その風潮によって更に自分を苦しめているのかも。

 

そんな方々を前に、自分がかける言葉なんて何もない。

 

そんな薄っぺらい言葉なんて、本人の頭のなかで幾らでも占領しているのだ。

 

鬱病の人に頑張れなんて言うんじゃねーよ、というのがある。

 

鬱病の人も「こんなじゃ駄目だ頑張らなきゃ」と何度も何度も思っているからこそ

 

言われると更に思いつめるのだろう。

 

生きることに疲れた人にとって必要なのは、言葉という縛りから離れる必要がある

のかなと思う。

 

つまり、無音、無心の世界。

 

でもそんな世界なんて、この世にはない。

 

結局、疲れた人にとって必要なのは、その疲れを癒やす時間なのかもしれない。

 

その人に対して、行えること。それは、疲れた人を見守るぐらいなのかもしれない。

 

人生経験が滅茶苦茶少ない自分にとって、これに対する明確な結論は未だに至っていない。

 

ただ、私も少し疲れた時、やはり休みが欲しいと素直に思う。

 

それは休みという時間が欲しいという願い。

 

疲れに疲れた人は、その分長い長い「何もしない時間」を作るべきなのだろう。

 

しかし、それを作ろうとすると周りの支えが必要になる。

 

その事実にまた心を痛めるのだろう。

 

それでもいいんだよ、と言っても気にするのだろう。

 

やはり、生きる人に疲れた人に贈る言葉なんて、無いんだよと思うのが

 

今の自分の無力さを思い知るのだ。

 

嗚呼、疲れた。