思えば遠くへ来たもんだ

怪しい認知科学を紹介しながら、行き着くところへ目指すのを綴る場所

更新してなくてごめんね。

最近、忙しくて(言い訳)更新していませんでした。

研究に没頭するあまり、「ブログ記事なんて書いてられるか!」と放置しておりました。

しかし、更新してないにも関わらず、一日のアクセス数が増えていました。

f:id:anmitsuc:20181116190031p:plain

最高記録も更新。30pv/日というのは、中々に素晴らしい結果です。

「もしかして更新しない方が、いいのか!?」

なんて思っていました。

しかし、更新してこそのブログでしょ、と冷静に判断して、今日久しぶりに書きます。

  

 

なぜ更新しなくてもアクセス増えたの?

結論から言うと、「わからね」。

しかし、うまいこと検索に引っかかるようになってきたようです。

因みに一番アクセス数が多い記事はこれ。

 

 

visualawareness.hatenablog.com

 

よりによって、これかよ!!

 

まさかのクソ記事。

意外と皆天然パーマに悩んでいるんでしょうか・・・?

ということで、僕の天パ近況を書いたら、ただの感想ブログじゃなくなりそう。

 

 

 

最近の天然パーマ

過去記事じゃあ「ジェルつけろ!ジェルつけろ!じぇるじぇるじぇるじぇる」とか頭おかしい感じで書いていたと思うんですが、最近はジェルすらつけなくなりました。

というのも、1ヶ月前に良い美容院を見つけて、切ってくれたところ思いの外、つけなくても良い感じ(主観的感想)だったので、ジェルすらつけなくなりました。

単純に歳とって、周りの目を気にしなくなったのも考えられますが。

まあ、自然な方が良いってことです。セットの時間も数十秒で終わるようになったし。

 

というわけで、天然パーマの人は、天然パーマで闊歩してください。

恐らく、別の天然パーマの人の力になると思います。

 

天パは天パを救う

 

とか電波なことを言って天パ報告終了。

 

 

 

その他

最近以下の2冊を読みました。

 

夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)

夏と冬の奏鳴曲(ソナタ) (講談社文庫)

 

 

 

金閣寺 (新潮文庫)

金閣寺 (新潮文庫)

 

 

夏と冬の奏鳴曲は推理小説です。おそらく。

序盤、中盤の展開は結構ゆったりだったんですが、終盤から怒涛の展開でした。

最後に至っては「・・・なんということだ」と思ってしまう内容で、もう一度読む価値ありそうです。

(相変わらず、推理小説の感想書くの難しいなあ)

 

それで、まあ推理小説からいい加減脱却しようぜ、ってことで幾つか本を買った中の

一つが「金閣寺」でした。

三島由紀夫が小学生か中学生の頃書いた作文というのをネットで見た時、この時から「なんてキレイな文章を書くんだ」

と思っており、いつか読みたいなあとか思ってました。

で、三島由紀夫の作品どれがいいかななんて思ってた頃、自分が小学生の頃実家に「金閣寺」がおいてあるのを見て、読んだ記憶が蘇ったので、大人になった今、読んでみるのもありやなとか考えた結果、「金閣寺」を手に取りました。

最初の数ページで「非常に読みやすい文章やな」と思いながら、読んでいましたが内容は難しい。

実際に起きた事件である「金閣寺放火事件」を基にして描かれた小説なのですが、人の悪の部分とそれを対比するかのように立ち続ける金閣寺。絶対的な美とそれに振り回される主人公。

200数ページでしたが、あっという間に読み終えてしまいました。

多分一回だけでは、すべてを読み取ることが出来てないと思うので、もう一度読むかもしれません。

 

 

 

最後に

そういえば、ハルヒの新作短編が出たらしい。

僕は原作は読まず、アニメは1期しか見てない糞ニワカ野郎なのですが、まあ嬉しいですね。

ハルヒといえば、僕は本屋に一時期飾っていた「ごめんね」を毎回思い出すのですが、それももう数年前。

時代は変わりゆく。というわけで、最後にその画像を貼って、タイトル回収。

これは伏線ではない。

 

「ごめんねごめんね u字工事」の画像検索結果

 

animeanime.jp

ふざけすぎたので、ちゃんと宣伝。でももう出てるのに、いまさらこの記事を挙げるのもどうなのか?

とか考えたけど、よくよく考えるとそんなことどうでも良かったのであった。終わり。

明日を信じられるということは良いことだ

おとといの晩から高熱が出ました。

現在は、まあ治ってきているという感じです。(感覚としては通常より少し体調が悪い)

 

今日は大事をとって、一日中お休みしていました。

昼に至っては、ずっと寝ていました。

起きた後は、食事も水分もまともに取れていないので、無理にでも食べ飲みするようにしましたが、これがまたきつい・・・。

 

それでも、おとといよりはましです。

午前は、ただ風邪ひいたなあって程度の感覚だったのですが、時間が進むにつれて体調がどんどん悪くなる。

大学から帰ったのが午後7時半ぐらいだったんですが、その1時間前は倒れていました。

気力を振り絞って、何とか帰ることができましたが、とても辛いものでした。

 

 

風邪で死なないということ

風邪をひいて、ピーク時には「死ぬ・・・」とか思っていたんですが、それでも心の底から死ぬとは思っていません。

現在も、まあこのように体調が良くなるということは予想していました。

もちろん、早く治ること自体には自分の備わっている機能に感謝の念を表さざるを得ないのですが、何よりも「治って当然だよね」という常識が植え付けられている、この環境に何となく幸せを感じました。

多分、風邪で弱気になっていたのも原因なのですが普段は考えないことを、あれこれ考えていました。

当たり前じゃない時代だってあったし、国が変われば常識も変わる。

風邪一つが大病であることだって決してあり得ないわけではない。

子供やお年寄りのような免疫力が低い年代には、風邪も大きく体調を崩す要因になり得る。

それでも、風邪に対して「普通は治る」という常識を植え付けれられている今の時代は豊かな時代なのだろうと思いました。

豊かになっていくことで、新たな問題も噴出してくるだろうけど、それまで大きな問題として挙げられていた事が解決することは、おそらく悪いことではないのだろう。

とか、頭がやられている状態で、無駄に意識の高いことを考えていました。

今現在もですけど。

 

 

たまにはこういう時間も必要か

落ち着きすぎても駄目だろうけど、焦りすぎても駄目なのかもしれない。

たまには、こういう時間も必要なのでしょう。

急がば回れという言葉もありますし。

まあ、いい休養にはなったかもしれません。肉体的にも精神的にも。

いや、肉体的にはきついんですけど。

 

 

ついてない日 -涙がほおを流れても-

今日はついてませんでした。

今日の僕の一日をまとめてみました。

 

午前 7:00起床! 今日は一日良いことありそう!

 

午前10:00 免許更新のために1時間半かけて都市の中央に行くため

バスに乗ろうとする。僕の目の前をバスが通り過ぎる。10分遅れる。

 

午前 10:30 駅に乗り換え。何故か僕の目の前で電車が出発する。乗り遅れた僕はその15分後の電車に乗る。

 

午前 11:00 電車の中で腹が痛くなる。

 

午前 11:15 駅に着く。トイレに直行。何故か和式しか空いていない。

 

午前 11:20 スッキリしたところで、目的地に向かう。

 

午前 11:50 目的地に到着する。静かな感じになにか嫌な予感を覚える。

「火曜日は休みです」の張り紙。

死ぬ。

 

正午 なにか食べてから行こうと思うが、午後から大学で用事あることを思い出し、すぐに戻ることに。1500円の交通費が無駄に。

 

午後 0:30 駅に着く。時間はまだあるので、近くのイオンで買い物。

昼間の火曜市に巻き込まれ、人の多さに嫌気がさす。

 

午後 1:30 大学に着く。午前に打ち合わせがあることを思い出し無事死亡。

相手の方に多大なご迷惑をおかけする。死にたくなる。

 

午後 2:30 午後の用事。

 

午後 6:30  終わる。友人と学食へ。

うどんのトッピングにあるコロッケを食べたいと思い、食券を買う。

コロッケが売り切れ。

代わりに、紅生姜の天ぷらをトッピングにうどんを食べる。紅生姜酸っぱい。

 

現在 鼻の奥が痛い。おそらく風邪。

 

なんなんだよ・・・これ・・・。

何か俺悪いことしたのかよ・・・。

 

f:id:anmitsuc:20181030214849p:plain

 

誰か俺を助けてくれえぇ。

 

 

ついていたこと

・電車の中で漏らさなかったこと

・このことがブログのネタになったこと

・生きていたこと

 

はいはい、感謝感謝。

 

 

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

僕は見たことありませんが、僕みたいになりたくなければどうぞ。

 

秋になるとセンチメンタルになる症候群

皆様、おはようございます。

秋です。

10月下旬です。

僕の周りも、すこしずつ寒くなって参りました。

夜に自転車で帰っていると、肌寒いを通り越して凍えて死にそうになります。

 

さて、この時期は毎年、何故か「センチメンタル」になってしまいます。

特に、部屋に居るときに、外から涼しい風が入ってくるのを感じると、何だか堪らなく悲しくなります。

「これって俺だけなのかな?」

と割と重病なんじゃねと思っていたんですが、「秋 センチメンタル」で調べればいくらでも出てきます。

matome.naver.jp

同じように感じている方も多いみたいです。いやぁ、良かった良かった。

 

 

 

でも秋って好きなの

一方で、僕は秋が好きです。

夏のような(特に今年の猛暑は辛かった)暑さから開放されるし、春のように花粉は飛んでこない。それでいて冬のように寒すぎることもない。

一番過ごしやすい時期です。

 

風景も変わり始めます。

今まで青々としていた草木がすこしずつ赤く染まっていく紅葉の様子が見れます。

いわゆる有名所に、紅葉を見に行こうなんて考えている方や、すでに行っている方も多いのではないでしょうか?

 

イベントも沢山あります。

運動会、学園祭を催すところも多いのではないでしょうか?

最近、近くの幼稚園で日曜日に運動会が開かれているのが確認されました。

遠くからでも聞こえてくる子どもたちの元気な声。

「ああ、もうそんな時期なんだあ」

なんて、思いました。

最近、日本でも謎の流行りを見せているハロウィンもこの時期ですね。

 

読書の秋、芸術の秋、もその類ですね。

文化の日があるのも11月の秋です。

センチメンタルになるからこそ、創作意欲や文化的好奇心が湧くという人もいたりするのかもしれません。

寂しさを、表現で埋めたいのかもしれません。

 

あちこちでイベントがあったり、色んなことが変わっていったりするけど、それが急かされずゆっくりと僕たちの周りに表れてくる時期。

そんなゆったりした感じがある秋、だから僕は秋が好きです。

なんか死にそうなフラグ立ってそうだけどそんなことありません

「あの葉っぱが落ちたら俺・・・」

みたいな雰囲気を醸し出していますが、そんなことは全然ありません。

しかし、こういう心が不安定になりやすい時期というのは、「自分のありのまま」を自然に表現しやすい時期なのかもしれません。

一年の終わりを迎えようとしている。

その意識がそろそろ働いて、人生を振り返ろうとするのかもしれません。

「あの出来事ももう数年前なんだ・・・」

懐かしかったあの頃をふと思い出す・・・。その懐かしさにやられて寂しくなっていく。

決して、今と昔は比べられないのに、何故か比べてしまう自分。

普段は、それが許されないような状況なんですけど、この時期だけは少なくとも日本はせつなさを抱いても許されるような雰囲気を感じるこの頃。

それだけ感覚が敏感になっているから、いつもなら気づかないことも、ふと目に入る。

それをブログに書いてみるのも、良いのではないか。

 

なんて、夜風を感じながらセンチメンタルになった状態で、この記事を書いてみました。

皆様も、秋の風流を感じながら、ちょっとした記事を書いてみると、自分のことが少し認知できるようになるかもしれません。

 

なんて臭い記事なんだ。恥ずかしくて死にそう。

 

 

 

 

ブーバ・キキ効果 Bouba/kiki effect

(引用:ブーバ/キキ効果 - Wikipedia)

 

さて、皆様。

どちらの画像が「ブーバ」で、どちらの画像が「キキ」でしょう?

 

 

答えは下です。

 

 

 

 

 

 

 

答え

ありません!!

この2つの画像、別に名前がつけられている画像ではありません。

しかし、ほとんどの人は

右の雲みたいな画像:ブーバ

左のトゲトゲみたいな画像:キキ

と当てはめたのではないでしょうか。

 

そうです。

この画像、名前がつけられてないのに大半の人は

「右画像:ブーバ、左画像:キキ」

と当てはめてしまいます。

これを、ブーバ・キキ効果と呼びます!

 

終わり。

 

 

 

説明しやがれクズ

はい、いつも通りです。

 

ブーバ・キキ効果は先程も言ったように「曲線画像をブーバ、直線画像をキキと殆どの観察者が答えてしまう」現象のことです。

ヴォルフガング・ケーラーという方が最初に見つけて、有名なラマチャンドランが命名しました。

視覚画像の形から得た印象と合致する言語を当てはめるという人間の処理を、

よく表すことで有名な現象として広まりました。

 

この現象は以下の3つの特色が言えます。

 

・観察者の98%という高い割合で、この傾向を示す

母語・年齢に関わらず、同じ傾向を示す

・単純な刺激にも関わらず、面白い現象が出やすいことから、多くの心理実験で用いられやすい

 

 

1,2番目の特色は、強いですね。

その観察者の経験や文化的背景の影響や、成長に関係ないということです。

この現象は生得的な機能によるものということを示します。

我々が「ざらざら」「さらさら」とオノマトペで、物体の感じ(質感)を表すのも、生まれ持った(もちろんオノマトペ自身は文化的に生まれてきた言語でしょうが)機能ということです。

当たり前のようにやってきたことですが、これが当たり前であるということを示すのは中々難しいものです。

 

だからこそ、単純な刺激で示したことが、3番目の強みにもなりますね。

未だにブーバ・キキ効果を使った心理実験では、この画像が用いられます。

見てもらえば分かりますが、「形以外」違いがありません。

だからこそ、形による現象だと強く言えるわけです。これが、別の要因でも

違っていれば「形」による現象とは強く言えません。

刺激間で統制できるところはなるべくする。それが心理実験の定石(?)だからです。

 

ちなみに僕がこの現象を知ったのは、やっぱり以下の本です。

 

視覚科学

視覚科学

 

 

またこの本か、と言われそうですが今の僕を作っているのはこの本のおかげです。

いや、視覚やるならこれは読むべきです。

強く押しておこう。

 

次に、その後、ブーバキキ効果を見たのは以下の論文です。

Can a Word Sound Like a Shape Before You Have Seen It? Sound-Shape Mapping Prior to Conscious Awareness. - PubMed - NCBI

 

簡単にいうと「雲とトゲトゲの画像を見せながら、音声の「ブーバ」を聞かせると、意識が雲の方に向いちゃうよ!」って感じです。

いや、これは厳密には正しくないのですが、これを話し出すとそれこそ1記事書けるレベルなので許してください。

意識に関しては、僕はちょっとだけ調べていたことがあったので、また別の記事で書くときに再度取り上げます。

ここで言いたいことは

・最近の論文(上は2017)でも使われるぐらい有名な現象である

ということです。

 

 

 

 

 

 

その他

視覚的な形に対しては「ブーバ・キキ効果」があることが示されていますが、形といえば触ってもある程度イメージできることがあります。

では、触ることで得た形情報でも、そのような効果があるのでしょうか?

ということを調べた研究があります。

www.sciencedirect.com

 

こういう物体を見せずに触らせます。

f:id:anmitsuc:20181020011205p:plain

(p.168 Figure 1 引用)

 

触りながら「ブーバかキキか」答えさせる。

視覚を触覚に変えただけの実験です。

しかし、この実験では触覚情報での形に対しては、ブーバキキ効果が見られなかった。

という結果になりました。

 

視覚-聴覚での現象と今まで言われてきましたが、触覚-聴覚では不明だった。

しかし、この実験で少なくとも触覚-聴覚での相互作用は起きないことが示されました。

ううむ、悲しい。

何故なのか・・・。

触るだけだと、局所的な情報しかないので形が上手くイメージできないのか、それともイメージは出来ても、視覚的な情報がやはり必要になるのか・・・。

どちらにしても、視覚情報から得たイメージから音の印象を想像している、というのがこの論文の主張です。

 

 

 

最後に

我々は普段から物体のイメージを音で表します。

特に日本人は「オノマトペや形容詞」での表現力に優れている傾向があります。

最近は、物体のイメージとオノマトペの関係を調べる研究も多いので、まだまだこれからも視覚的イメージと言語に関する研究は増えていくでしょう。

いつの間にか、音声で狙った物体画像が作れる時代も来るかもしれません。

(というか、もう来ているのか・・・?)

 

そんな研究の流れを作った「ブーバ・キキ効果」。

興味がある人は調べてください。

視覚、聴覚、言語学、心理学、色んな観点で研究が行われているので、そういうのが好きな人にはオススメ・・・かもしれません。

沼にハマったらごめんなさい。

 

過去の記事は以下になります。(下に行くほど新しい)

 

visualawareness.hatenablog.com

visualawareness.hatenablog.com

visualawareness.hatenablog.com

 

 

というか、まだ認知科学系の記事、4記事しかなかったんですね・・・。

もっと増やさなければ。

というわけで、またどこかで。

 

初記事を自分でレビューする

一日で二回記事を書きました。

前記事は下。

 

visualawareness.hatenablog.com

 

 

 

最近、何か真面目なことしか語ってねえなあ、とか思ったので、巫山戯ようよということで、何かないかなと思って過去記事を探っていたのです。

 

すると、僕が今公開している最初の記事を見つけたので

「これ、今の俺がレビューしたらいいんじゃない?(適当)」

ということでレビューします(唐突)。

 

レビューする記事は以下。別に辿らなくていいです。

 

 

visualawareness.hatenablog.com

 

 

 

レビューです

まず題名。

「生きることに疲れた人へ贈る言葉なんてね、無いんだよ」

 

のっけから、鬱まっしぐらですね。お前が一番生きることに疲れてんじゃね、って自分のことなのに心配してしまいます。

初記事のタイトルとしては、最悪じゃないすかね?

 

以下引用。

>>生きることに疲れた人へ贈る言葉

>>よくそんな人に対して「自殺はやめろ」とか「生きていれば良いことがある」とか

>>言う人がいる。

>>そして、世間的にはそのような言葉をかけるのが良いという風潮がある。

>>しかし、実際に疲れている人を前に、そんなことが言えるのだろうか。

 

いきなり喧嘩腰ですね。

最初の頃、こんなにも突き放すような書き方をしてたのかと驚きます。

あれっすかね、若気の至りでクール気取る的な。

うーん。しかも内容も誰に向けているのか不明だし。

読み進めば分かるのでしょうか?

 

>>疲れてどうしようもないその人だって、そんなことは承知の上である。

 >>しかし、その理解を超えたところで、今闘っているからこそ疲れて死を選ぼうと

>>しているのだろう。

 >>下手すれば、その風潮によって更に自分を苦しめているのかも。

 >>そんな方々を前に、自分がかける言葉なんて何もない。

 >>そんな薄っぺらい言葉なんて、本人の頭のなかで幾らでも占領しているのだ。

 

このときの自分、本当に暗いなあ。

何かこのときの僕の立場って記事内では「第三者の意見」として書いているけど、本当は「自殺を考えている自分はこう思っている」という心情を書いている気がする。

「俺はそういう意見があるのは、昔から知っているけど、だけど死にたいんだ。

だから、もうそういう言葉を投げかけないでくれ」

みたいな気持ちを持って書いているのかもしれません。

でも、今思い返しても「いや、特に死にたいことあったっけ?」という感じなので、謎です。怖い。

 

>>鬱病の人に頑張れなんて言うんじゃねーよ、というのがある。

 >>鬱病の人も「こんなじゃ駄目だ頑張らなきゃ」と何度も何度も思っているからこそ

 >>言われると更に思いつめるのだろう。

 >>生きることに疲れた人にとって必要なのは、言葉という縛りから離れる必要がある

>>のかなと思う。

 

どうでもいいけど、この時からちゃんと調べるってことをしてないですね。僕。

本当に鬱病の人に「頑張れ」って言ってはいけないのか、調べて書いているんでしょうか?

多分、伝聞なんだろうなあ。

この内容、ずっと僕の考えをだらだら述べているだけっすね。

だから、ずっと、~だろう。とか~と思う。とか、終始ハリのない記事なんでしょう。

今もそうです。

 

>>つまり、無音、無心の世界。

>>でもそんな世界なんて、この世にはない。

>>結局、疲れた人にとって必要なのは、その疲れを癒やす時間なのかもしれない。

>>その人に対して、行えること。それは、疲れた人を見守るぐらいなのかもしれない。

 

何か詩的ぶっちゃってさ、いけ好かねえ。誰だよこれ書いたの。

これ、もっと簡潔に「何も言わないで、見守るだけでいいんじゃない?」で終わるだろ。

 

 

>>人生経験が滅茶苦茶少ない自分にとって、これに対する明確な結論は未だに至って

>>いない。

>>ただ、私も少し疲れた時、やはり休みが欲しいと素直に思う。

>>それは休みという時間が欲しいという願い。

>>疲れに疲れた人は、その分長い長い「何もしない時間」を作るべきなのだろう。

>>しかし、それを作ろうとすると周りの支えが必要になる。

>>その事実にまた心を痛めるのだろう。

>>それでもいいんだよ、と言っても気にするのだろう。

>>やはり、生きる人に疲れた人に贈る言葉なんて、無いんだよと思うのが

>>今の自分の無力さを思い知るのだ。

 

最初の一行でまず、保険をかけています。

二行目からは僕の考えですね。どうでもいいけど、こいつ、自分の考えをさも他の奴らもそうだ、みたいな考えで書いているな。

俺の一番嫌いなやつじゃねえーか。

休みがほしいのはお前だけかもしれねえだろ。

やっぱり、ちゃんと校正して書かない記事は駄目ですね。

(今もしているかと言われると微妙なところ、決してしてないとかじゃなくてですね、あのやっぱり忙しくてですね、いや言い訳するとかじゃなくて、そういうこともありまして、気持ちとしては校正したいとおもってますし、実際時間があるときはしているので許していただけないでしょうか。)

 

で、最後の二行は、急に立場が変わります。僕が見守る側になります。

なぜ、立場が急に変わるのか・・・。

恐らく、「僕のことなんだけど、僕のことだってばれたくない」てきな心理が働いたのでしょうか。

推測ですけど。

 

>>嗚呼、疲れた。

 やっぱりお前のことじゃねーか!

というか、多分、これネタ記事ですよね。

最後に、わざとこういうことを言うなんて最悪なブロガーだな。内容の重さに反して、適当なことしか書いてねえ。

まあ、フォローしておくと恐らく「暗くなりすぎたな・・・、俺のことにしよう」って悪知恵が働いたんだと思います。

ずるい。

 

 

レビュー後、反省会

もう二度としたくないです。

ただ、記事の内容自体は自分の考えなんで「まあそういう考えもありかな」って読めました(もちろん、違う考えも今ではできるんですけど)。

でもやっぱり、初期の頃の記事特有の痛々しさ。

いや、今も十分痛いんですけど。

 

これを全世界に公開しているのかと思うと悲しくなってきました・・・。

それでも書いていかなければならない。

まあ、前の記事にも書いたんですけど、基本的に文章を人に見せるってことは

「恥ずかしいこと」

ですから。

 

visualawareness.hatenablog.com

 痛々しさは、一生抜けないのかもしれません。

それでも書くことの意味。

このレビューを通して、もう一度考えてみるのも有りかもしれません。

 

ちなみに、自分の記事をレビューすること自体はナシです。

いや、本当にやめたほうがいい。

俺じゃないみたい。

黒歴史は、他人に掘られた方が、まだダメージ少ないかもしれない。

 

教科書には載せられない黒歴史

教科書には載せられない黒歴史

 

 

 

 

 

人間性を捨てると、色々得られたよ

ようやく、落ち着いてきましたのでブログを更新します。

先週まで、ある書類を書いてました。

締切が提出締切だったので1ヶ月前から少しずつ書いていたのですが、色々トラブルや日本心理学会(以下の記事)の参加のための準備、その他もろもろありまして、結局書類内容をギリギリまで詰めることに。

 

visualawareness.hatenablog.com

 

うーん、もう少し早めに準備しておけばよかったなということと、トラブル回避できればもう少し内容を詰めれたのではないかという後悔でいっぱいです。

しかし、書類書いている時は、そんなことよりも

 

あああああああああああああああ、これ、終わるんか!!???!!!??!?!

 

という思いの方が強かったので、まあ無事終わってホッとしてます。

というわけで、先週までの内容を箇条書きで書いていきます。

 

 

 

先週から昨日までのダイジェスト

・10/1(月)~4(木) それまで書いていた内容とは別の内容が思い浮かび、そっちのほうが面白いということで、書き直す。後で考えると、どっちも同じレベルだった気がする。最終稿と全然内容違うし。

 

・10/5(金) 書いた内容を二人の上司に見てもらうために、メールで送った(つもり)。

 

・10/6(土)~8(月) 見てもらっている間に、別の作業。上司の一人は、土日でも読んですぐに返してくれるため、返信がないことに違和感を覚えるが、特に確認することなく別の作業を続ける。

 

・10/9(火) 返信どころか反応すらなかったので、流石に違和感ありまくり

何となく、嫌な予感が頭をよぎりながら、メールボックスを覗く。

 

メールを送っていなかった

絶望とともに、すぐさま上司二人に書類を送付する。

 

・10/10(水) いろいろと内容が不足していることが発覚。また一人の上司の推薦書を含めての締切設定ということで、僕と上司互いに焦る。人様に迷惑をかけることに。

 

・10/11(木) コメントが返ってくる。内容丸替え。泊りがけ覚悟で延々と書いたり書かなかったりを繰り返す。ここから、ずっと徹夜。このときは27時に一旦帰宅。そのまま風呂入って、仮眠とって仕事場へ。

 

・10/12(金)~10/13(土) 仕事場で泊まる。ずっと書き続けて、朝6時になって風呂に入るために一旦帰る。そのあと、仮眠をとって、また作業。土曜日の9時に上司に推薦書依頼。

 

・14(日) 死ぬ。起きたら夕方4時だった。

 

・15(月) 推薦書が提出されたこと確認、その後全書類提出。すべて終了。

 

・16(火) ただの日常。平和そのもの。久しぶりにゆっくり論文読めた。

 

というわけで、教訓。

もっと早めに行動しようね。

 

 

 

 

やっているときは楽しかったよ

久しぶりに、無茶したなあとか思ってたんですが、やっているときも、やり終えたときも楽しかったです。

 

それに、自分が如何に勉強不足なのかも思い知ったので、悔しさをモチベーションにして今後もやっていけそうな気がしたので悪い体験ではありませんでした。

 

上司の前でそんなこと言ったら、殺されるでしょうけど・・・。

 

自分が楽しんでやれることは、人間性捨てても楽しめるってことですかね?

いや、もちろん人間性をわざわざ捨てに行くような状況は作らないほうがいいんですけど。

ほんと、今回はまじで僕のせいなんです。(なんでメール送れてないかなあ・・・、今までそんなミス一度もしなかったのに)

 

 

 

暇って意外とあるんじゃね

それから、作業中に思ったこと。

・実は進捗が進むときって、思ったよりも短時間で一気に進むことが多い

いや~、実は書類を書き直している時に、以下の記事を書いてまして・・・。

 

visualawareness.hatenablog.com

 

出せるか不明という状況にもかかわらず、高専の記事を書くとかアホなのか。

しかも文字数、今までで一番多いし。

 

でも、作業に響いたかと言うと、そうでもないと僕は思っていて。

実際、締切の前日に提出できてますし。(上司の協力があったからなんですけど

というのも、結局進捗に関係する作業時間って、ちゃんと測ってみると、実は数時間程度なのかな?と思うのです。

もちろん、他の作業をしていても、考えているので、一概には言えないんですけど。

 

書類なんかは特に、「思いつくかつかないか」が一番重要で、書いている時はそれよりもよっぽど短い気がします。

でも、書くことでしか進捗は生まれない。

 

ということは考えている時間に、別の単調作業を当てはめれば、暇というのは幾らでも作り出せるのでは

と、それこそ書類書いている最中に思い浮かんだわけです。

 

 

別のお話で、タイピングスピードと書類作成の時間関係がありまして。

タイピングスピードがどれだけ速くても、結局「考えている時間の方が長い」というお話があります。

毎分600文字打てる人とかでも、書く内容が定まってなければ

1時間0文字なんてざらにある訳です。

なので、実は考えることの方がよっぽど、時間取るけど仕事が進まない、けど核になる重要な要因なので無くてはならない。

質の悪いやつやなあ。

 

 

しかし、別にアイデアが浮かぶ時って

「よーし!今から考えるぞお!」

と、意気込んでも、浮かばない時は浮かばないんすよね。

むしろ、何か別の作業してて

「あれ?あの部分、こうして書いたらいい流れになりそう」

とか

「あ、今日の記事、このテーマで書こう」

とか、ふと思い浮かぶ事の方が多いような気がします。

  

だから考えても思いつかねえってなったときは

・別の作業をしてみる

・体を動かしてみる

・遊ぶ

ブログの記事を書く

 

ってやっていると、色々と効果あるのかもしれません。特に締切間近の時は

「やべええ、こんなことしちゃだめだ、浮かべ浮かべ浮かべ・・・俺の脳みそ、爆発しろ!!!」

ってなるから、何かすげえ考えが浮かびやすくなるかもしれません。

いや、おすすめはしないんですケド。

そもそも、そんな状況を作らない方に努力を向けましょう。(ここテストに出ます)

 

まあ、普段の生活でも、気分転換を取ったほうがいいということですね。

人間、何事にもその状況に順応してしまうと疲弊するので、良くないです。

 

 

 

 

さて

さて、書類が無事(?)提出できたということで、当分は暇・・・というわけでもなく、まだまだ仕事はあります。

明日は明日で打ち合わせあるし。

 

僕の戦いはこれからだ、という打ち切り宣言をして、今日の記事は締めたいと思います。

 

まとめ

・楽しいことは人間性捨てても、楽しめそう

・同じ作業を連続しても、意味ないかも

・締切前に急ぐことないように、普段から規則正しい生活を送りましょう

 

いや、本当にね。